TOKIORI

心地よい暮らしや理想的な働き方を模索する。

一人で何でもやってのけてしまう人。


どうも、佐田真人(@mst727)です。

昨夜ツイートした内容なのですが、今日は「一人で何でもやってのけてしまう人」のお話です。


このツイートから「なんですごいと思うんだろう」「彼らのゆとりある雰囲気ってどこから来るんだろう」なんて考えていると、自らの体験にも思い当たる節がありました。

今日はそんなお話を交えながら書いていけたらなと。


一人で何でもやってのけてしまう人特有のゆとり

今のこの世の中、特に働いていると、どうしても効率化を求めてしまう傾向にあります。

生産性を上げていくために、自分が苦手なことは得意な人に任せ、本当にやるべきことに専念しようと。

もちろん仕事をする上でも、効率性を求めることは大切であり、欠かすことができないのも事実。

でもだからこそ、一人で何でもやってのけてしまう人はすごいなあと、改めて感じます。

そんな彼ら特有の「ゆとりある雰囲気」。

これは僕自身の憧れでもあるのですが、あのゆとりある雰囲気に惹かれてしまいます。

じゃあそのゆとりはどこから来るのでしょう。

それは、生みの苦しみを自ら体験している人の懐の深さ、からだと考えます。


生みの苦しみを知っている人とそうでない人

彼らは一人で何かを始め、継続することの難しさ、大変さを、身に沁みて感じています。

だからこそ、彼らが別の誰かに仕事を頼むときは、そこに必ず「思いやり」があるんです。

それがないと、単なる作業ベースの依頼となってしまい、それは時として相手に大きな負担をかけてしまいます。

思いやりがあることで、単なる作業の依頼にならず、仕事を受ける側も「やろう!」という気持ちになれるんだと思います。

何故そう思ったのかというと、自分自身の過去の経験からいくつか思い当たる節があったからです。


まずは一人でやってみることで感じる意識の変化

僕はいまWebディレクターとして、記事の制作や依頼も業務の一つとして、行なっています。

以前は全て自分一人で行なっていたこともあり、5000文字以上の記事を月に何本も書いていた時期がありました。

そんなこともあり、5000文字以上の記事を継続的に執筆する苦しみみたいなものは、身に沁みて実感した経験があります。

だからこそ、いまディレクションする立場であっても、必ずただの作業の依頼にはしない。

必ず「協働する」という認識を持って、仕事をお願いするよう心がけています。

それが先ほどお話しした、思いやりに繋がるかなあと、思った次第でした。


最後に

すこし話が逸れてしまいましたが、一人で何でもやってのけてしまう人というのは、生みの苦しみを知っている。

だからこそ、何かをお願いするときは、必ずそこに思いやりがある。

その思いやりに、彼らのひととなりや、懐の深さを垣間見るのかもしれません。

以前に観た「人生フルーツ」は通ずる部分があり、まさしく今日お話ししたような人たちが登場します。

ご興味がある方は、こちらも合わせて読んでみてください。

参照:自分の信じる日常をコツコツと築き上げていく。|映画「人生フルーツ」 - TOKIORI

今日はこれにておしまい。
それではまた!