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TOKIORI

心地よい暮らしや理想的な働き方を模索する。

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心地よい暮らしや理想的な働き方を模索する。

好き嫌いのコミュニケーションに必要な心構え。

ライフスタイル


どうも、佐田真人(@mst727)です。

先日、co1さん(@co1)のこちらの記事を読みました。

xico.media

「写真の良し悪しを判断するのは自分である」とこの記事のタイトルにもある通り、本当にその通りだなあと。

そしてそれは写真だけでなく、音楽や映画などのアート作品に対しても、同じことが言えるんじゃなかろうかと。

普段から触れる機会の多いアート作品は、当然のことながら、人によって好き嫌いが分かれるもの。

そこにそれぞれの解釈があるからこそ、それを一緒に話したりするのが楽しいのですが、中にはそういう会話をしづらい人たちが稀にいる。

 

相手の批判に目を背けない

好きなところと嫌いなところ、良かったところと悪かったところ。

お互いの意見を聴いて、建設的なお話ができればいいのですが、好き嫌いの意見が一致しなければ、全力で攻撃してくる人たちを時折目にします。

そして結果的に両者とも感情的になってしまうこともしばしば。

そんなことを繰り返していると、さすがに消耗してしまいますよね。ただ攻撃された側も、決して相手の主張から目を背けるべきではないと考えます。

 

「メタル以外はクソだ!」という友人

そんなことを考えていると、ある友人のことを思い出しまして。

話は高校生の頃にさかのぼるのですが、軽音楽部にいた頃、メタル好きの友人がいたんですよ。

ただかなり尖ったやつで、毎日のように「メタル以外の音楽はクソだ!」って突っかかってくるやつだったんです。

(バンドやってた人にはたぶん共感していただけるはずなのですが、周りにそんなやつ、一人は絶対いましたよね...?)

一つの意見として自分の中で留めておくことは一向に構わない。でも彼はとにかくJ-POPを聴いているやつを全力で否定しに行ってたんですよ。

ただよくよくちゃんと話すと、彼は否定しているだけのように見えて、実は「クソだ...!」の前に隠された様々な思いがあったんです。

この経験から分かったのが、やっぱりみんな人間なんだなあと。

彼には批判的な感情になるまでのストーリーがあったんですよ。何も突然メタル以外の音楽を否定し始めたわけではなかったんですよね。

だからこそ、同じように批判と向き合う場合、その感情に行き着くまでのストーリーを想像してあげると、もう少し物事を客観的に見れるんじゃなかろうかと思うわけです。

少なくとも、感情的に流されることはなくなるのと思います。

 

「好き」もまたしかり

逆に「好き」という感情も、実は知らず知らずのうちに、誰かを不快にさせているかもしれません。

メタル好きのやつは、めちゃくちゃメタルが好きだからこそ、メタルを聴かない人たちを攻撃してしまったわけですから。

今回の例は極端な話ですが、相手も絶対好きだろうという前提で話を進めてしまうと、妙に歯車が合わなくなってくる。

もちろん好きなことはどんどん公言していくべきなのですが、その好きを相手に押し付けてしまうのは違うのかなあと。

自分の好きなテリトリーに、相手を無理やり引きずりこむ必要はない。案外忘れがちですが、とても大切なことだと思います。

度々ご紹介させてもらっている、株式会社Waseiの鳥井さんの記事にも同じようなことが書かれているので、ぜひこちらも合わせて読んでみてください。

参照:「苦手な人もいるかもしれない」という想像力について。 | 隠居系男子

 

最後に

対面であってもWebであっても、お互いの意見を建設的に話すための姿勢や環境づくりが大切なのかもしれません。

相手の否定に対してつい反発してしまう人は、一度咀嚼してなぜ相手がそう思ったのかを考えてみる。自分の好きをつい押し付けがちな人は、「必ずしも相手はそうではないかも?」と想像を巡らせてみる。

それだけで好き、嫌いのコミュニケーションの質はグッと上がるはずです。

あれやこれやと書いてしまいましたが、もしコミュニケーションでお困りな方がいらっしゃれば、すこし試してみてください。

(ちなみにメタル好きの友人は、その後J-POPが大好きになりました。)

今日はこれにておしまい。
それではまた!