TOKIORI

心地よい暮らしや理想的な働き方を模索する。

「俺の誇れる俺になる」ことの真意について。


どうも、佐田真人(@mst727)です。



今日はこのツイートの真意について書いてみようかなと。

 

迷ったときに問いかける言葉

誰しも生きていると、大なり小なり決断をしています。そしてときには重要な決断をしなきゃいけないこともある。

その決断は自分より他の誰かに任せた方がいいかもしれない。それでも他の誰かではなく、自分自身が決断を下さないといけない瞬間というのは必ず訪れます。

思い返してみると、何か自分で決断しなきゃいけないときは、生駒のように「俺の誇れる俺になれるかどうか」を判断軸としていた気がします。

「未来の自分はあのとき決断をした自分、あのとき決断をしなかった自分、どちらの自分を誇れるか」と。

 

やらないで後悔するよりやって後悔したい

なぜそんな判断軸を持つのか。

それはつまるところ「やらないで後悔するよりやって後悔したい」からでしょう。

決断をした自分、決断をしなかった自分。基本どちらの道を選んだとしても、極論正解はない。

寧ろ正解にしていくのは自分自身なんだと思います。

それならば何かをやるやらないの選択肢になったとき、迷わず「やる」と言える自分でありたい。

もし今後、未来の自分が今の自分を誇れない瞬間があるとするならば、それは「やりたいという意思があるのにも関わらず、やるという選択肢を選ばなかった自分」なのでしょう。

 

最後に

冒頭の部分に戻りますが、「俺の誇れる俺になる」という主人公生駒の言葉。もし「甲鉄城のカバネリ」に興味があれば、ぜひこちらの記事も見てみてください。

参照:もののけ姫×進撃の巨人?アニメ「甲鉄城のカバネリ」に惹かれる理由。 - TOKIORI

もし今あなたが何かをしたい。

そんな思いを胸に秘めているのであれば、どうか一度聞いてみてほしいです。

「未来の自分は今の自分を誇れるか」

今日はこれにておしまい。
それではまた!